2011年3月16日水曜日

慣れてはいけない

 人間というのは慣れる生き物ですし、慣れるほうが生きていく上で簡単なのは間違いありません。でも、ここで慣れては絶対にいけないと思うのです。

 東京では電車がほぼ平常どおり動き始めています。電車が平常どおり動くと、日常生活が平常に戻ります。特に、毎朝電車に乗って職場に行くかたはなおさらでしょう。しかし、なぜこの時期に〝平常〟だなんて言っていられるべきなのでしょうか? 今は非常時ではないのでしょうか? 非常時に平常を求め、電車がいつもどおりに動くくらいでそれに慣れるべきではないと思うのです。

 なるほど、銀座ではネオンが消えているようですし、ターミナル駅の駅ビルも営業時間を短縮しているでしょう。街灯も薄暗いようです。でも、そんなことでいいのでしょうか?

 こういうことを思うのも、月曜日の計画停電が回避できたのは電車に電気を供給しなかったからで、逆に火曜日以降の停電は電車を動かしているからだという話を聞いたからです。なぜ電車を動かすのか? 働きに行く人がいるからです。では、なぜ人は働きに行くのか? 電車が動いているなら働かせるのが当然だという会社があるからです。そこでは、この時期に、貴重な電力という国家資源を用いて、本当にやるべき仕事なのかどうかという考慮がまったくないように思うのです。

 確かに、実業界のいうとおり、政治にリーダーシップを取ってほしいと思いますし、政府にできることはたくさんあると思います。私がなにを言っても誰もきかないことは分かっていますが、たとえば、(1) 銀行も含めて週休3日にする (2) 金融市場は(大証・名証含め)半ドンにする (3) 事務職は2組に分けて1営業日ごとの出勤にする といったことを決めた上で、電車の本数を半分にすれば、随分と家庭生活は楽になるのではないかと思うのです。

 結局、人間、自分のやっていることがムダだということを認めない人が多いので、「不要不急の人以外は出勤するな」という言いかたをすれば皆出勤するわけです。そうして貴重な電力を使い、間接的に復興に必要な資源を奪っていくのです。そんなムダやめましょうよ。

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