2011年9月14日水曜日

ちゃんと説明すると売れないってどういうこと?

 気付いたらもう3か月近く投稿しておりませんでした。TwitterとかFacebookが便利でついかまけてしまい…。  来月あたりに発売される某誌にも書いたのですが、毎月分配型とか通貨選択型の投信、きちんと内容を説明すると売れなくなると販売会社は思っているらしいです。誰がこんな国(金融市場)にしたんだろうと思うと、業界の末席を汚したことのある人間としては憤りを覚えずにいられません…。

2011年6月26日日曜日

復興支援と「フェア」さ

 被災者の方々にとって、なにがフェアなのか、法律に書いてあることだけではなく、人としてどうあるべきかを含めて考えなくてはいけません。難しいことを『難しい』と言うだけでは評論家であって、なんの解決にもならないのですが、しかし、実際の困難さは想像を絶するのでしょう。
 たとえば、住宅がうけた被害。程度によって自治体からの補償金などの額が違っているようですが、その線引き基準がまちまちだとか。本来であれば、あれだけの災害だったわけですから、原状(元の状態)回復は民間の責任ではないような気がしますし、震災前の状態にまで戻すのは公・官の責務のように思います。しかし、そうなると民間の保険会社に入っていた人はそれまでの保険料が払い損になりますし、また、保険会社は逆に保険金を払わなくて済むことになりそうです。
 また、実際問題としては、原状回復は机上の空論であって、建物を新築せざるを得ない人も多いのでしょうが、修繕して古い家に住む人と、新築の家に住む人とは不公平だという話になるでしょう。公平感を保つために元の家よりも狭い新築にするというのも本末転倒でしょうし。
 さらに言えば、終戦直後に国が民間を助けてくれたわけでなし、焼け野原は焼け野原でしかなかったところで皆で頑張ったわけですよね。それとの比較を始めると、あれはあれで復興という意味では成功体験なわけで、あの成功体験を基に議論をしてしまうと(「戦後だって〇〇だった、××した」というやつです)、すべて民間でやれという話になりかねない。
 確かに、報道というのはミクロのレベルで「ひどい」「あんまりだ」という話を集めてくるのであって、マクロ的な視点は大切なのでしょうが、それにしても、もう少しなにか考えるべきですよね。議論が平行線をたどっている間は経済活動も停滞してしまうわけですし…。

2011年4月27日水曜日

田中好子さん

 いままで、芸能人のかたが亡くなってここまで悲しくなったことはありませんでした。キャンディーズが解散したのも調べてみないと何年生のときだったか憶えていない(78年4月ってことは小学6年生になったばかり)のですが、おそらくは、8時だよ全員集合を見ていたからなのでしょう、こうやって考えると実はものすごく身近だったんだと気付きました。伊藤蘭さんは事件記者チャボでお美しいかただと思いましたし、藤村美樹さんは1曲だけだしたシングルが結構好きでしたが、でも、キャンディーズの中で一番(小学生ながらに)好きだったのはスーちゃんでした。

 また、今回は、ご自身の最期の言葉がインターネットで聴け、あの苦しそうな声に悲しくなり、さらにあの中身、また、弔辞、特に、藤村美樹さんの「私たちは永遠にキャンディーズ」というのも、たまらなく悲しくなりました。もっというと、日本人がなかなか使わない「愛してる」という表現、英語のI love youを訳したものと考えると、日本語の愛してるよりももっと深い意味があると思いますし、スーちゃんも、ミキちゃんも、ランちゃんも、英語のI love youだったのでしょう。

 なんの結論もない話で恐縮なのですが、さっきYouTubeで「微笑みがえし」を見ていたら涙がとまらなくなってしまって…。おっさんが気持ち悪いですね。すいません。

国債の格付けについて

 今問われているのは、財政状態そのものではないでしょう。なぜなら、それだけが問題なら、今頃とっくにトリプルBになっている(さすがにジャンクにはならない)からです。

 日本が財政的に行き詰っていることは皆分かっているものの「国債を国内の投資家が買い続けている間はデフォルトしない」という自己完結的な理屈だけでデフォルトしないことを所与とし、本質的なことに手を付けていないところが海外の格付け会社は(というか、私もですが)気に食わないわけです。

 ではなにをすべきなのか。本当の意味での政治主導っていうのは、こういうときに発揮されるのではないですか? 主導=リーダーシップですよね? でも、それがないから格付け屋さん達に攻撃されるのです。

 私自身は、国債の日銀引受を含めリフレ論者ですが、とにかく、なにもしないでいるうちになんとかなるという今の政府の姿勢自体が一番問題なんだと思いますよ。なにもしないことを責められるのではなくて、なにかしたことを責められるようになってほしいものです。もちろん、まっとうなことという前提付きですが…。経済学者が論争を起こすようなことを、しっかりとした信念をもってやり遂げる決意を持つ人がこの国を主導すべきなんです。(別に、現在の担当者が向いていないと申し上げているわけではないことは申し添えておきますが…)

2011年4月26日火曜日

東京電力…

 とある人から、東京電力が今後どのようになるかの見立てを尋ねられたので回答したのですが、せっかくなので…。

~東京電力の今後について~

 東電さん単体では、直接・間接の賠償金の支払いは無理だろうとは思っています。一方、賠償金を払えないから倒産するということが許されるはずもない。

 ということは、国が関与して、賠償金をしっかり払う仕組みをつくるということで、これは、どのような形であれ実質的には国有化だと思います。

 よくある議論で「東電は絶対に儲かるんだから長期的には賠償金負担はできる」というのがありますが、あれは消費者と資本主義を軽視した話であって、仮に 東電がずっと儲け続けられるんだとすると、そういう制度・枠組みだからであり、結局恣意的・政治的なものに過ぎません。米国のように独立系の発電会社がいくらもあったら地域独占の電力会社など要らないかもしれないわけで、議論の出発点が間違っています。電力会社が必ず儲かるのだとすると、それは、形を変えた税金に過ぎない(制度設計で税金に見えなくしているだけ)と思います。

 ですから、今後どうなるかは政治決着でしかありえなく、予想をしてもしょうが ないとは思いますが、ま、先送り、つまり、政府がとりあえず負担しておいて、あとは東電に利益を上げ続けさせて回収するという仕組みでしょう。どうあるべ きかではなくて、どうなるかの予想はここです。つまり、社債はデフォルトしないと。となると、完全な国有化はなく、せいぜい、優先株でしょう。普通株で希 薄させてもいいのですが、そうすると、国への配当金を増やすと一般投資家の配 当も増えるわけで、さすがにそれには抵抗はあります。上場は維持されるということでしょうね。

 言ってみれば、体のいい証券化ですね。アメリカのタバコ訴訟のときのように、 州政府への賠償金は長期分割払いだけれども、州政府はその受け取り権を証券化してしまって手前で受け取るというのがありましたが、それに近いことが起きるのでしょう。まずは政府(なり新しいなんちゃら機構)が負担しておいて、東電が時間をかけて返済すると。

 なお、なにがフェアかという意味で考えると、株主・債権者の負担はもっとどうどうと議論されるべきであり、社債の一部元本カットと利息の棚あげくらいは当然ではないかと思います。仮に東電に利益を上げ続けさせるのだとすると、関東地方の人だけが負担することになりますが、原発は国の問題でもあったわけで、 その失策を関東の人だけが負担することは公平ではありません。たとえば社債の10%カットで5000億円を捻出、また、利息の棚上げ分を新株にして既存株主を希薄化させる、くらいはすべきだと思います。

 繰り返しになりますが、これはもう政治の話なので、私が(特にクレジット系)市場のプロとかそういう問題ではなく、(増税による被害者への補償を含め)だれが負担するかというだけの話だと思います。社債権者が一定の負担をするのは当然だと思うのですが?

 なお、当然そのときには特別立法が必要ですね。東京電力更生法(あるいは、原子力事業者の更生手続きに関する法律)とかを作ればいいのですが、ま、政治主導というお題目が行動力につながるとは思っていません。

2011年3月27日日曜日

今般の円高について

 70円台の円高をこんな時期に見るとは思っていませんでしたが…。

 実需という意味では、確かに、日本の保険会社が保険金支払いに備えて対外資産を売却するとか、あるいは、(実際にはこちらのほうがインパクトは大きいのだと思いますが)海外の再保険会社が資産を売却して円転しなくてはならないといった話が伝えられています。

 また、復興需要に伴う経済回復への期待というのもあるのでしょう。

 私自身は、そもそも円高が悪いというのは必ずしも賛成しかねるので、今回の動きについても「なるほどね」という印象しかもっていないのが正直なところです。協調介入についても、そりゃ、あの速さで動かれるとみんなつらいんだろうとは思いますが、日本の復興を助けるために円安を許容して日本の輸出競争力を高めてあげようなどという気があるわけではないのでしょう。

 投機的な動きについてはどうなのか? 投機は必ずしも悪ではないと思いますし、今回の円高局面はストップ・ロスを狙いにいっているわけで、ストップ・ロス取引を組んでいた人たち自体、FXで投機していたわけですから、ま、痛み分けというか、どっちもどっちなんだろうなと思います。

 いずれにせよ、復興という観点から見ると内需という話なのだと思いますし、その意味では、円高は悪い話ではないような気もしております。ま、円を叩きうる人たちがいたら、責められるべきだったのかもしれませんが、それはそれで健全な動きのような気もしますし。

 今、私のような金融に携わる人間にできることはあまりないのですが、とにかく、金融機能が正常に働き、必要なところに必要な資金が回るよう、役に立つことはなんでもしたいという感じです。

2011年3月16日水曜日

慣れてはいけない

 人間というのは慣れる生き物ですし、慣れるほうが生きていく上で簡単なのは間違いありません。でも、ここで慣れては絶対にいけないと思うのです。

 東京では電車がほぼ平常どおり動き始めています。電車が平常どおり動くと、日常生活が平常に戻ります。特に、毎朝電車に乗って職場に行くかたはなおさらでしょう。しかし、なぜこの時期に〝平常〟だなんて言っていられるべきなのでしょうか? 今は非常時ではないのでしょうか? 非常時に平常を求め、電車がいつもどおりに動くくらいでそれに慣れるべきではないと思うのです。

 なるほど、銀座ではネオンが消えているようですし、ターミナル駅の駅ビルも営業時間を短縮しているでしょう。街灯も薄暗いようです。でも、そんなことでいいのでしょうか?

 こういうことを思うのも、月曜日の計画停電が回避できたのは電車に電気を供給しなかったからで、逆に火曜日以降の停電は電車を動かしているからだという話を聞いたからです。なぜ電車を動かすのか? 働きに行く人がいるからです。では、なぜ人は働きに行くのか? 電車が動いているなら働かせるのが当然だという会社があるからです。そこでは、この時期に、貴重な電力という国家資源を用いて、本当にやるべき仕事なのかどうかという考慮がまったくないように思うのです。

 確かに、実業界のいうとおり、政治にリーダーシップを取ってほしいと思いますし、政府にできることはたくさんあると思います。私がなにを言っても誰もきかないことは分かっていますが、たとえば、(1) 銀行も含めて週休3日にする (2) 金融市場は(大証・名証含め)半ドンにする (3) 事務職は2組に分けて1営業日ごとの出勤にする といったことを決めた上で、電車の本数を半分にすれば、随分と家庭生活は楽になるのではないかと思うのです。

 結局、人間、自分のやっていることがムダだということを認めない人が多いので、「不要不急の人以外は出勤するな」という言いかたをすれば皆出勤するわけです。そうして貴重な電力を使い、間接的に復興に必要な資源を奪っていくのです。そんなムダやめましょうよ。

2011年2月28日月曜日

久々でして

中央経済から出ている「旬刊経理情報」の3月10日号に『自社にミスマッチした商品を選ばないためのデリバティブの利用法と導入の留意点』という原稿が掲載されます。お時間があれば読んでみてください(って宣伝じゃねえか…)。

2011年2月12日土曜日

合理的根拠適合性

 結局、合理的根拠適合性って、まともな商品以外は投資家に販売するなということかと思っています。その意味では「不招請勧誘」とは全く発想が異なるコンセプトであるはずです。

 というのも、たとえばFX、CFD、商品先物は、証拠金・保証金が、価格変動分の担保でしかないことを理解できてれば、あんな単純なものはありません。あれが向いていない投資家などはいなくて、単に、証拠金・保証金は(想定)元本の一部でしかないということを理解してもらうことだけが大切なのです(もっとも、それをきちんと説明していないことが問題なのは事実ですが、それはそれで別の議論かと)。

 一方、世の中で個人向けに売られているほとんどすべての商品は〝プロが買わない〟わけで、プロが買わないものに合理的根拠適合性などあるはずがない、この事実を当局・自主規制団体は重く受けとめるべきではないかと思うのです。日本を代表する生命保険会社が買わない商品が、生保の裏側にいる個人に向いているはずはありません。一方、生保は為替の取引もやれば株の取引きもやるわけで、であれば、FXやCFDが悪い商品とは必ずしも言えないわけです。

 いつも思うのは、資本市場の担い手である業者の質が個人投資家の質をある程度決めてしまうわけで、矜持を持ってほしいですよね。ま、そんな矜持があったらそもそもこんな市場にはなっていないのでしょうが…。

2011年1月29日土曜日

国債の格下げについて

 Twitterにもいろいろ書いたところではあるのですが、あまりにもブログに書かなさすぎを反省していて、ちょっとだけまとめをと思いまして。

 今一つ世の中の人たちと私の感覚がずれているのは、国債というか日本の財政は既に崩壊しているという認識の違いでしょうか。どの数字がどこを超えているから、と定義することが難しいのは確かですが、過去数十年財政黒字を経験したことがない国が、毎年巨額の財政赤字を出し、公的債務がGDPの200%になり、借り換えの金額が税収の3倍近いというのは、どう考えても破たんしています。企業であればすでに銀行の管理下に入っていて、支出を厳しく制限されているでしょう。

 結局、日本人が国債を保有しているから格下げは関係ないという議論は正しいのだと思いますが、その正しさの根幹には、有権者が無頓着であるということです。国債の究極の保有者は純貯蓄者である個人であり、個人が国を動かすには選挙を通じるしかないものの、選挙で財政規律を唱えれば落選することが明らか、つまり、国民自体が見て見ぬふりをしているということなのでしょう。

 もっとも、実はよく分かっているという説もあり、要するに、日本人しか国債を持っていないのだから、結局は国がデフォルトしても誰にも迷惑をかけないと無意識で考えているのかもしれません。国債の元本20%カットは、ぐるぐる回って、おそらくは預金の20%カット、保険会社の保険金20%カットということになるはずですが、それでもいいと思っているんですよね(そうじゃないと説明がつかない)。

 これはこれで形を変えたハイパーインフレであって、そうなると個人の住宅ローンや消費者金融からの借入、はたまた、クレジット・カードの分割払い債務も20%カットしないと割に合わないわけで…。

 これが機能するのは国外に債権者がいない場合だけですが、ま、ほとんどいないという説もあり。平成の開国ならず平成の鎖国がふさわしいのでは、少なくとも財政規律の観点からはそう思うのでした。

 もちろん、鎖国をすると輸出産業が壊滅するわけで、実際にそうするはずはないのだと思いますが、そこまで気が及ばないのが我々有権者なのかもしれません。

2011年1月22日土曜日

サッカー日本代表

昨日のサッカーを見ていて思ったのは、やはり、日本には日本のよさがあるということでしょうか。チームワークとか和と言葉にすればなるのでしょうし、全体のために個があるんだというと軍隊っぽくて好きではないのですが、そういうことではなくて、皆がひとつになろうとしたときの強さというか、それはそれで日本のよさなんだと思いました。

これを日本の企業社会に当てはめてみたとき、やはり、必ずしも年功序列とか、非成果主義というものを否定すべきではないんだろうと思います。確かに、もともと高度成長・人口増加を前提とした社会システムだったわけですから、それ自体は破壊されなくてはいけなかったんだと思います。ただ、日本人のよさというのは、チームとしてまとまったときの力の強さであり、そのまとまりのためには、年功序列〝的〟なもの、成果主義の否定〝的〟なものは必要なんだと思います。

ま、難しいのは、サッカーと違って、上層部・管理職ですら結果を求められなくなることですよね。なので、株主によるガバナンスという欧米的なものは残すべきかと。理想論でかつ抽象的すぎるのは分かっているのですが、それすらなければ具体性のある提言もできませんしね。

2011年1月18日火曜日

博覧強記

 アエラの最新号の「子を入れたい業界と会社:人気エコノミスト16人本音アンケート」(私はでてきませんが、http://www.aera-net.jp/summary/110116_002172.htmlにサマリーあり)に登場させてもらってます。博覧強記とご紹介いただいて恐縮しておりますが、そうなりたいとも思います。

しばらく出版物はありませんが、編集中が2冊、執筆中2冊、構想中3冊ということで、比較的好調かと。梅雨 時の大学院非常勤講師に向けて体調も整えなくてはなりませんな。

2011年1月10日月曜日

デフレは悪

 マネックスの松本さんの今日の日経の寄稿には、同感することが多くありました。短期の政策は巧いが、長期的には合成の誤謬を生むなど、まさに、言い得て妙ですね。

 松本さんからもご指摘があったとおり、デフレそのものが悪いことで、まずデフレをやっつけないとなにも起きないという意識が、政策当事者に低すぎると私も思っています。デフレとはなにかの結果であって、たとえば景気がよくなれば解決するとか、そのように思っているのでしょう。しかし、デフレが諸悪の根源であって、デフレを退治しなければなにも始まらないということは、認識したほうがいいのではないかと思います。

 結局、人間なんて実質賃金が下がっても、名目賃金が上がったほうが嬉しいと思うのです。デフレは逆で、実質賃金が上がっていても名目が下がっているから皆が不幸感を持ち、それが経済の停滞につながっているわけですから…。