2011年1月29日土曜日

国債の格下げについて

 Twitterにもいろいろ書いたところではあるのですが、あまりにもブログに書かなさすぎを反省していて、ちょっとだけまとめをと思いまして。

 今一つ世の中の人たちと私の感覚がずれているのは、国債というか日本の財政は既に崩壊しているという認識の違いでしょうか。どの数字がどこを超えているから、と定義することが難しいのは確かですが、過去数十年財政黒字を経験したことがない国が、毎年巨額の財政赤字を出し、公的債務がGDPの200%になり、借り換えの金額が税収の3倍近いというのは、どう考えても破たんしています。企業であればすでに銀行の管理下に入っていて、支出を厳しく制限されているでしょう。

 結局、日本人が国債を保有しているから格下げは関係ないという議論は正しいのだと思いますが、その正しさの根幹には、有権者が無頓着であるということです。国債の究極の保有者は純貯蓄者である個人であり、個人が国を動かすには選挙を通じるしかないものの、選挙で財政規律を唱えれば落選することが明らか、つまり、国民自体が見て見ぬふりをしているということなのでしょう。

 もっとも、実はよく分かっているという説もあり、要するに、日本人しか国債を持っていないのだから、結局は国がデフォルトしても誰にも迷惑をかけないと無意識で考えているのかもしれません。国債の元本20%カットは、ぐるぐる回って、おそらくは預金の20%カット、保険会社の保険金20%カットということになるはずですが、それでもいいと思っているんですよね(そうじゃないと説明がつかない)。

 これはこれで形を変えたハイパーインフレであって、そうなると個人の住宅ローンや消費者金融からの借入、はたまた、クレジット・カードの分割払い債務も20%カットしないと割に合わないわけで…。

 これが機能するのは国外に債権者がいない場合だけですが、ま、ほとんどいないという説もあり。平成の開国ならず平成の鎖国がふさわしいのでは、少なくとも財政規律の観点からはそう思うのでした。

 もちろん、鎖国をすると輸出産業が壊滅するわけで、実際にそうするはずはないのだと思いますが、そこまで気が及ばないのが我々有権者なのかもしれません。

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