2010年5月15日土曜日

格付け

米国で、格付け会社の規制案が金融改革法案に盛り込まれる可能性が出てきています。特定の証券に対する格付けを、どの格付け会社が付与すべきかについて、政府機関が決めるとか。実際問題として機能するとは思えないという論調が支配的ですが、当該修正案は上院で結構な賛成を集めたので、もしかするともしかするかもという懸念も出ています。
識者指摘のように、3大格付け会社は理由もなく大きくなったわけではなく、一応、survival of the fittestの結果なのでしょうから、ここでこのような規制ができた結果、独立系の格付け会社が果たしてその役割を果たせるのかは疑問です。ただ、その一方で、個人的には独立系のピュアな、つまり、高い格付けを付与しないとおカネがもらえないとか、そういう利益相反がない人達の格付けが受け容れられる「世の中」にはなってほしいと思っています。
そう、そういう「世の中」になることが重要なんですね。昨日付けのFT紙のLEX欄にもあるとおり、実際には、投資家の側で、独立系の意見にカネを払おうという人達はいないし、さらにいうと、(これは、私もいろいろなところで指摘していますが)投資家の側だって、実は甘い格付けが欲しいんです。そうでない限り、日本に2つも格付け会社があって、甘い格付けを出し続けているはずはないわけです。
「あそこの格付け会社の格付けは、実際には甘い」ということを皆が知っていて、かつその格付け会社の符号を使い続けるというのは、格付けの本来の目的を考えると道理に合わないですよね?
私が、金融の世界と関係のないところで、知人や家族とよく言うことで「政治家の質は有権者の質を越えられない」、つまり、どんな人が首相になり、どんな政策になっても、結局は自業自得でしかないという持論があるのですが、それに近い話なのです、格付けって。

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