2013年1月27日日曜日

国債は暴落しない(日本人が冷静なら)

日本の国の借金が非常に多いことは、いろいろなところで報道されているのでもはや驚くべきことではありません。では、国債はデフォルトするのか、あるいは、デフォルトしないまでも信用不安で暴落するのかとなると、日本人が冷静でいるかぎり、そのようなことはないのではないかと思っています。

最新の資金循環統計によれば、 国債残高の7%程度は外国人が保有しています。日本人が93%程度を保有していると考えても同じです。つまり、大胆に単純化すれば、国債の返済先は日本人だけであって、国債がデフォルトして困るのも日本人だけということになります。

ところで、国債がデフォルトするとはどういうことなのでしょうか? デフォルトの逆、つまり、借金を返すとはどういうことかを考えたほうが分かりやすいでしょう。国が借金を返すためには、借り換えを続ける、つまり、返済のための資金を借りるか、あるいは、返さなくてもよいおカネを調達してそのおカネで借金を減らすかどちらかしかありません。ところが、国というのは事業をおこなっているわけではありませんから、利益を上げるわけではありません。ということは、返さなくてもよいおカネの調達というのは、資産を売却するか、あるいは、増税かどちらかしかありません。

借り換えの議論を少しおいておきましょう。まず資産の売却ですが、購入する人が日本人である場合、実は本質的には意味がありません。というのも、資産を売却して、そのおカネで借金を返済するというのは、資産の買い手が日本人だとすると、結局のところ、国債を現金で償還する代わりに資産という現物で償還するに過ぎません。「利払い負担が減るではないか」という議論について言えば、国債の利払いは結局のところ我々日本人に対するものなので、国全体で見ればチャラです。また、売却した資産を国が再度利用する場合には賃料を払うことになりますから、その意味でも同じです。となると、国債を償還するには増税しかありません。

(※1 国が資産を保有していても有効活用できないのだから民間に払い下げて有効活用したほうが国民経済的にはプラスなのですが、それは別の議論です。)

つまり、というと議論が飛びますが、結局、借り換えを前提としない限り、国債のデフォルトというのは、土地建物などの現物償還か増税とマクロ経済的な意味は同じです。 国債がデフォルトすると国民が富を失う、つまり、富が民間から官に移動しますが、それは税金を追加で払うことと同じなのです。税金が増えるのを好む人はいませんよね? ということは、国債のデフォルトを好む人もいないわけで、日本人が冷静なら、国債はデフォルトしないわけです。デフォルトしないのだから、信用リスクが高まるはずはなく、それを理由とした利回り上昇もないわけで、価格の暴落もしないということになるはずです。

となると、膨大な借金はどうなるのか? 基本的には借り換えを続けるしかありません。借り換えができなくなることがデフォルトなわけですが、今見たとおり、私たちが冷静な限りデフォルトはしないわけですから、借り換えは永遠に可能だということです。このあたりの議論は、地域金融機関が地元の中小企業にしている融資は、結局のところまず間違いなく返済されないというのと同じで、実質的にはエクイティとして機能している債権・債務なので、返済を議論してもしょうがないわけです。

ここまでの議論は、景気回復や期待インフレ率の上昇に伴う金利上昇をまったく織り込んでいません。なぜか? 景気が回復すれば税収が増えるので、そのおカネで借金を減らすことができます。つまり、デフォルトリスクは当然のことながら後退します。インフレも同じで、物価が上昇すれば借金は目減りしますから、やはりデフォルトリスクは後退するわけです。簡単に言うと、金利も上昇しない、借金も減るというのは原則としてはあり得ず、その意味での国債価格の下落は充分に考えられますが、財政の健全性が回復できるというプラス側面を考えれば、そのくらいは我慢すればいいのではないかという気がしています。私は基本的には時価主義ですが、景気回復やインフレによって国債の元本の健全性が保たれたまま、金利上昇によって国債の価格が下がるのであれば、価格の下落は一過性なのでそれはそれでしょうがないというか、時価を実質的に無視すればいいのではないかと思います。信用リスクの変化に伴う時価の変化を放置することは問題ですが、そうではないわけで。

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