2013年4月14日日曜日

小さな親切とリスク管理

 自分に子供がいたら、街で知らない人に声を掛けられたら無視しろというように教えるかもしれません。子供が女の子だったらなおさらでしょう。

 一方、たとえば困っている人がいたら助けて上げましょうというのは、人間の美徳なのでしょうし、子供がいればそのようにも教えるでしょう。実際、たとえば電車でお年寄りに席を譲るというのは、やはり自分に子供がいればそういうふうに育ってほしいし、自分と子供が一緒に座っていて、立っているお年寄りを見つけるなど実践できる場があれば、率先して範となるようにし、あるいは、子供をけしかけて声を掛けさせ、席を譲らせるでしょう。そのときに「いや、私は(席を譲ってもらうほどの)年寄りではありません」といって子供の好意を受けない人がいると、その子供は二度と席を譲らなくなるかもしれません。

 同じことは、明らかに道に迷っている人にも言えるでしょう。なるほど、その人達の親御さんからすると、自分たちの子供が知らない人から声を掛けられるのは心配なわけで、それだったら路頭に迷え(あるいはとにかく交番・派出所を見つけろ)という話なのでしょうけれど、その一方で、自分たちの子供が街で他人に親切にして、警戒されて「あっち行け」みたいな態度をとられ、その挙句、他人に親切にしない子供になってしまったらどうするんだろうという配慮が欠けているような気がします。

 という事を考えているときに、知人のディーラーの話をふと思い出しました。知人は、利益を上げると多少は褒めてもらえるものの、損をするとひどく叱責されるそうで、しかし、ポジションを取らないとそれはそれで怒られるんだそうです。仮にポジションを取らせてそこから利益を挙げさせたいのだとすると、他所の損で叱責するのはおかしいのですが、そういうことに気が回らないんですね。そのような管理者は、自分が街で親切心を出したところ、変質者扱いをされたらどれだけ気分が悪くなるかを考えてみるべきだと思うのですが、どうでしょう?

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